2020年の秋

近江八景を行く(7)堅田落雁 その1

 跡地今昔 2020年11月27日(金)午後3時 天気快晴

 近江八景・第7景・堅田落雁景勝地堅田浮御堂である。

 堅田落雁は琵琶湖西岸南湖出口の狭まった位置で湖面につき出す景勝浮御堂に雁が舞い降りる様子が詠われている。

 下右の写真は11月28日(土)午前6時40分頃の日の出前、宿泊した大津プリンスホテル35階の窓から写した空飛ぶ鳥影である。鳥の種類は分からないが雁である事を願っている。近衛信伊の和歌に通ずる情景で偶然とは云えカメラに捉えた娘のお手柄である。 

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 近江八景 堅田落雁 土佐光起

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土佐光起 近江八景画巻之内(部分)堅田落雁 承応3年~元禄4年【1654~1691】 個人蔵

 上は土佐光起の描いた堅田落雁で画面左側に浮御堂が見え、中央部の湖面に雁が列を成して舞い降りる様子が描かれている。位置情景から判断すれば背後の山は三上山と思われるが湖西の山並みとする解説もある。巻末(花押がある)に収められているのでスペースに余裕があり、近衛信伊の和歌を忠実の捉えた作品であると思っている。

 下は桃田柳栄の絵である。

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桃田柳栄 近江八景画巻(部分)堅田落雁  貞享元年(1684) 大津市歴史博物館蔵
 桃田柳栄の絵は浮御堂を中央に置き雁の列をより近付けているのが特徴である。浮御堂近くの湖岸に葦が群生している様子が見えるのも落雁に通じている。絵巻の途中画であるのも構図要因かと思われるが、こちらも近衛信伊の和歌に拠った作品である。但し背景の山は比良山に連なる湖西の連山であることが巻絵の順番から読み取れる。

近現代の絵姿 

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野村文挙 近江八景 堅田落雁 明治32年(1899)  近江八景絵葉書 堅田浮御堂 明治大正期

  近衛信伊の和歌〝峰あまたこえて越路にまづちかき〟の地形に忠実なのが上の野村文挙の絵である。湖岸に浮かぶ小島は沖ノ島である。琵琶湖東岸の近江八幡北岸沖に位置しているので雁が舞い降りて来る峰々は正に伊吹山を含めた越路に繋がる山々である。

構図的には土佐光起の堅田落雁に通じてバランスがとれており景観が楽しめる。

右上は明治大正期の絵葉書で、浮御堂の周りに生茂る葦の様子が昔を偲ばせる。

2020年の秋

近江八景を行く(6)唐崎夜雨 その3

跡地訪問 2020年11月27日(金) 16時 天気快晴

 近衛信伊の和歌近江八景で〝夜雨〟が詠まれた唐崎神社はJR湖西線唐崎駅の東南東凡そ700mの琵琶湖湖岸にあり、西近江路(558号線)脇外れの駐車場に車を入れて徒歩数分で神社前に到着した。

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下図中央上部の空きスペースが駐車場で人家の間を暫く歩くと湖岸に面して赤い鳥居の唐崎神社が現われた。 

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 湖岸に面した境内奥右側の広い敷地一杯に樹勢の衰えた巨松が鳥居囲いの中に枝を広げて立っていた。唐崎神社の3代目霊松である。歌川広重の描いた2代目松から明治20年(1887)に実生して引き継がれた3代目の唐崎の松である。従って樹齢は133年であるが、樹勢は芳しくないように見受けている。江戸時代の初代・2代と較べると枯れ方が早いのではないかと感じている。

 訪れた日は天気が良かったため雨の風情を感じる事がなかったが、近江八景で今に引き継がれている景観の貴重な姿を見ることが出来た満足感を味わった。

 

唐崎の松 (3代目)霊松 唐崎神社境内

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  琵琶湖を背に立つ唐崎夜雨の石標

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  唐崎の松の前に立つ〝唐崎の夜雨〟の石柱      上写真 明治初期の2代目唐崎の松
                                 長崎大学付属図書館蔵


芭蕉の句碑   囲いの中の一角に芭蕉の句碑がある。

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 貞享2年(1685)芭蕉42歳の「野ざらし紀行 」の折、〝湖水の眺望〟と前書きして一句を詠んでいる。

     辛崎の松は花あり朧にて  芭蕉

2020年の秋

近江八景を行く(6)唐崎夜雨 その2

歌川広重の浮世絵と近代の絵姿

 近江八景の唐崎夜雨を描いた絵は沢山あるが歌川広重の〝雨に煙る一本松〟(私称)は異色であるばかりか傑作であると感じている。広重の絵には雨の光景が時々あり得意とした画題であったとも考えられるが、その中では名所江戸百景53番〈大はしあたけの夕立〉と東海道五十三次45番〈庄野〉の〝白雨〟が出色である。片や急な夕立ちに橋上を走る男女を描き、一方は雨中に峠越えする人足たちの苦労姿が描かれているが、何れも動態画で、斜めに叩きつける雨の情景が主題である。

 それに対して唐崎夜雨は極めて対照的で、降りしきる夜雨にしっとりと耐えるの湖岸の老松をクローズアップして描いている。雨が主題の筈であるが引き立て役の松の描き方が素晴らしい。梢を空の色と同じに黒で描き、幹と下枝をぼかして夜の感じを醸し出しており、唐崎夜雨と共に〝唐崎の松〟の情景画として一本立ちした名画であると思っている。

 歌川広重を始めとした一連の近江八景絵画の中で構図的にも描写的にも特出した存在で、現代にその姿を想起させる力感を携えた写実的な作品であると感じ入っている。

 近江八景の今昔を夢見て一番初めに思いつめたのが唐崎の松のその後の姿であった。
 夜雨の歌題が松に取って代わられてしまった思いがしない程に強烈な印象がこの絵には籠められている。

歌川広重 近江八景之内(栄久堂板)唐崎夜雨 天保5年(1834)

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   大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

  歌川広重画 近江八景之内 唐崎夜雨の原画写真

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    大津市歴史博物館近江八景常設展 

 

下は 魚栄板の唐崎夜雨である。こちらは夜雨と云うよりは名木唐崎の松に焦点を当てた琵琶湖湖岸の夜の情景画である。夜雨の表現は日本人にとってはやはり難しい課題であり、良くぞ松を見付けたりと広重を褒めたい気持ちである。

 名木唐崎の松(2代目の松)が枝を広げて湖上にまで届いている情景が分かるが、古文書(明治初期の神社由緒書)によれば高さ27m、幹回り11m、枝東西72m、南北86mと記録された巨大な松の木で、この浮世絵に描かれている景観が誇張ではない事が窺える。 

 歌川広重 近江八景(魚栄板)唐崎夜雨 安政4年(1857)

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大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 

   江戸時代中期の絵姿           明治大正期の絵姿

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長谷川等潤 江州唐崎大明神一ツ松正面西向之図     近江八景 写真絵葉書 明治大正期 個人蔵    
安永~寛政10年(1772~98)大津市歴史博物館蔵 

 上の絵に描かれているのは何れも2代目の松で双方の間には約100年の年差がある。この松が植えられたのは天正19年(1591)で、当時の大津城主新庄直頼公等によると伝えられている。従って左上の絵の松は樹齢約200年、右上の方は樹齢約300年であることが分かる。

 なお2代目松は樹勢が衰えてきたため明治20年(1887)に実生され、それが現在の3代目霊松として引き継がれている。(次号3代目松の現地写真)

 

2020年の秋

 


近江八景を行く(6)唐崎夜雨
 その1

  跡地今昔 訪問 2020年11月27日(金) 午後4時 天気快晴

 コースは逆であるが、4景目で初日最後が唐崎夜雨の唐崎神社・唐崎の松であった。

 近江八景の情景歌題は瀟湘八景に忠実である。〝夜雨〟は八景の中では詩歌の面では兎も角として、絵画としては描きにくい情景である。先ず対象を選ぶのが難しい。そして夜の雰囲気と雨の模様を画面に表すことも難しい。そのため日本各地における八景選定の中では歌題から外されることが多い情景である。近江八景の唐崎夜雨はそんな危惧を一切感じさせない名歌に基ずく景観設定で、大和絵による画巻も浮世絵やそれに続く日本画家の作品も素晴らしい。

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近江八景・唐崎夜雨 

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 土佐光起 近江八景画巻(部分)唐崎夜雨 承応3年~元禄4年(1654~1691)個人蔵

 湖岸にそり出す一本松に暗い夜雨が降り注ぐ様子を描き出している。左に添えられている讃は上記の近衛信伊の和歌である。 

 下は何れも19世紀の作品で夜雨に染まる松の雰囲気に焦点を当てた絵である。松は近江八景当時に既に霊木として崇められていた二代目の松で、枝は東西54m、南北68mに及び湖岸に張り出していたと伝えられている。

 現在の松は3代目で樹勢の衰えが激しく治療中であるが、近江八景発祥当時の現場雰囲気が今に残る貴重な存在で、これからも大切に保存継承されていく事を願っている。

 

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唐崎神社の案内掲示板と神社ホームページ写真

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近江八景唐崎神社の拝殿(日吉大社摂社 唐崎神社ホームページより)

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樹勢が衰える前の(平成28年以前)現在の松(3代目)

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2020年の秋

近江八景を行く(5)三井晩鐘 その3

現地訪問 2020年11月27日 午前11時 天気快晴

 大津市歴史博物館で開催されていた「明智光秀と戦国時代の大津展」と常設の近江八景展示室を見学した後、待望の近江八景探訪第1景としてすぐ裏山に隣接する三井寺を訪れ<三井晩鐘>の地と対面した。

 地図に示した如く三井寺大津市のほぼ中央部山裾に広がる一大伽藍である。寺院の正式名称は〝天台寺門宗総本山園城寺三井寺〕〟として由緒書に印刷されている。

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 園城寺三井寺)仁王門

門前左右両側が駐車場になっており三井寺の入り口である。

右側に立つ石標には園城寺と彫り込まれている。

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金堂の全景 

 園城寺の総本堂で本尊の弥勒仏が祀られている。桃山時代を代表する名建築で国宝である。コロナ感染が影響していたのか好天にも関わらず参詣客は少なく綺麗な写真撮影が出来て幸いであった。

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鐘楼と梵鐘
 金堂前広場の南木陰に質素な佇まいで建っているのが鐘楼である。左側の小屋の番人に一回300円の鐘撞き料を払って一突きづつの鐘の音を家族全員で楽しんだ。
 慶長7年(1602)の再建以来伝わる梵鐘で近江八景成立以来の変わらぬ鐘の音に心がときめいた。携帯録音機に収録した後、境内移動中にも他の参詣客が打ち鳴らした鐘音を樹間に聴き受けたが、落ち着いた鯨音と長い余韻が琵琶湖に向けて流れゆく風情に近江八景の神髄を見た感じであった。

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 弁慶の引き摺り鐘とお土産鐘

 三井寺には 奈良時代に作られた鐘が残されている。弁慶の引き摺り鐘として語り継がれており、金堂から少し上った山側の建物に保存展示されている。

 巨大な梵鐘で参詣客の人気は鐘楼の梵鐘を凌いでいた。

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  上右の写真は近江八景・三井晩鐘の訪問と鐘撞き記念に購入したお土産の鐘である。チリンチリンという可愛い音が鳴るので時々触って楽しんでいる。

2020年の秋

近江八景を行く(5)三井晩鐘 その2

浮世絵と近代の絵姿

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 歌川広重 近江八景之内(保永堂板)三井晩鐘 天保5年(1834)

大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 三井晩鐘で一番よく目にするが歌川広重の保永堂板の浮世絵である。三井寺から発する夕暮れの鐘の音が行き届く山麓の集落の情景を捉えた絵で侘しさが籠っている。背景の山は比叡山と思われるが三井寺の伽藍を含めて宗教的な威圧感を絵に与えている。 

 

秋の夕暮れに鳴り響く鐘の音が人の心を動かし、見つめる風景にも世の無常が籠っていると感じさせて来る。晩鐘は八景の中では最も詩的な課題であり、それだけに奥深い。和歌の〝暁ちぎる〟が何を意味するのか、定説は知らないが、煩悩を断ち切るのか、又は夜明け前の契りなのか良く分からず、意味深長である。

 下2点も歌川広重の浮世絵である。

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歌川広重 近江八景(魚栄板)三井晩鐘 安政4年   歌川広重 近江八景(藤慶板)三井晩鐘
  大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写     大津市歴史博物館所蔵  企画展近江八景より

 左上の浮世絵は広重の魚栄板に共通した構図で、上部雲間に近衛信伊の和歌が添えられ天地水の順次で下方に向けて主題画が段描きされている。美しい情景画であるが晩鐘の雰囲気は現れておらず、保永堂板のような侘しい情景や心理的な描写がなく、和歌の心が薄らいでいる。

 右上の絵も歌川広重の浮世絵である。近江八景の三井晩鐘と題され上部に三井寺と湖岸風景画描かれた絵を配しているが主眼は想いを詰めた遊女であり、正に大胆な八景画である。この絵には近衛信伊の和歌は添えられていないが、絵が語り掛ける心は信伊の和歌そのものではないかと想像している。遊女は入り合いの鐘の音に今宵の時を感じており、又或る人は己の人生や境遇に想いを寄せるなど、そんな普遍的な感情移動が梵鐘の音に込められている事を思い知らされるところに八景文化の奥深さが潜んでいる。

 

 

 

 因みに広辞苑から〝暁の別れ〟を引くと 〝夜をともにした男女がまだ暗いうちに起きて別れる事〟と記しており、古今和歌集【恋】の〝有明のつれなく見えし別れよりばかり憂きものはなし〟と源氏物語【総角】の〝あな苦しやや〟などの例が挙げられている。入り合いの鐘には世の無常をはじめとして煩悩や愛情や苦悩といった人間の弱みを悟らせる普遍的な響きが籠っている。

 

 下の2点は近代の絵と絵葉書写真である。

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 野村文挙 近江八景図 三井晩鐘 明治32年    近江八景写真絵葉書 三井晩鐘 明治大正期
      滋賀県立近代美術館蔵          大津市歴史博物館   企画展
近江八景より

 上左の絵は春の三井寺であろうか。満開の桜に囲まれた三井寺で近衛信伊の和歌との結びつきは希薄であるが、堂宇や鐘楼など山寺の雰囲気を感じさせる美しい絵である。

 右上は明治大正期の絵葉書とされた写真のコピーである。カラー刷りであるのが若干不自然であるうえ、伽藍の様子も現在と異なり班別が難しい。

 

2020年の秋

近江八景を行く(5) 三井晩鐘 その1

 跡地今昔 2020年11月27日 午前11時 三井寺訪問 晴天

 今回最初に訪れたのが三井晩鐘の三井寺園城寺)である。

 

 近江八景では三井晩鐘として登場するが課題には視覚的情景を伴わない特殊な景観である。元祖瀟湘八景では〈煙寺晩鐘〉として場所が特定されておらず、ただ遠くのお寺から聴こえてくる鐘の音を指しており、響きを通して寺院と周辺集落の雰囲気や人の心の動きを描く心因的な情景描写を主眼とした八景観が求められている。八景課題としては難しい存在であるが日本においては好んで受け入れられており、全国各地における八景構成でも秋月などと共に組み込まれるのが多い課題である。三井晩鐘は位置的にも思想的にも近江八景の中核に存在する課題で、近衛信伊の和歌も三井寺の鐘の音が齎す心の動きを奥深く詠み込んでいる。後の世の画家たちは描写困難な内面的画題に挑戦することになったと思っている。

 

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 三井晩鐘

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土佐光起 近江八景画巻(部分)三井晩鐘 承応3年~元禄4年(1654~1691)個人蔵

 三井寺の仁王門、金堂はじめ伽藍と山岳境内に焦点を当て周辺の集落は描かれていない。奥深く神秘な山寺から鳴り響く鐘の音を感じさせている。

 

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桃田柳栄 近江八景画巻(部分)三井晩鐘 貞享元年(1684)大津市歴史博物館所蔵

 こちらは伽藍を雲中に配して鐘の音の鳴り響く集落に画幅を広げている。湖岸に広がる門前町が穏やかな夕暮れを迎えているようである。

 

三井寺の鐘は今も鳴り続け、日本の残したい音風景百選に選ばれている。

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   三井寺の鐘楼(重要文化財    歌川国長 三井晩鐘 文化年間(1804~18)