2020年の秋

近江八景を行く(4)粟津晴嵐 その1

跡地今昔  2020年11月28日・午前10時頃 粟津晴嵐記念碑訪問 曇り空

 粟津は現在の大津市膳所を中心とした琵琶湖西岸の一帯で広い地域に跨っており近衛信伊が粟津晴嵐として詠んだ場所を特定することは難しい。古来琵琶湖南部地区の交通の要衝であり、史跡も多く歌枕としても有名で、また木曽義仲の討ち死にした所をとして義仲寺がある事でも知られている。近江八景誕生当時は松原が続く湖岸地帯で景観が優れていたと云われている。現在はJR粟津駅があり湖岸沿って一帯には〈晴嵐〉という町名が付けられ近江八景の地として昔を偲んでいる。市街地の開発に伴う湖岸の整備が進められており、大津市なぎさ公園の一角に粟津晴嵐の石標が建てられ松の若木が植えられて晴嵐の地復活が図られている。

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現在〈粟津晴嵐〉の石標が建てられている〝なぎさ公園〟からの景観

 なぎさ公園は湖岸総延長4,8Km、総面積30haから成る広大な公園で〝膳所晴嵐の道〟ゾーンには近江八景当時を思わせる松並木が上の写真に見えるように整備され始めている。

  近衛信伊の和歌は嵐の到来で粟津の湖岸に避難する船舶の様子を港の風景と掛け合わせて歌い上げており、粟津が賑やかな場所であることを匂わせている。

下は 土佐光起の描いた近江八景・粟津晴嵐である。

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 土佐光起 近江八景画巻(部分)粟津晴嵐 承応3年~元禄4年(1654~1691)個人蔵

大津市歴史博物館企画展近江八景の写真より引用・以下同じ)

近衛信伊の和歌が添えられている。その積りで絵を眺めると湖岸の樹木が揺れており嵐を避けて漕ぎ寄せる船の動きが描かれている。和歌の心を忠実に描いた作品である。

 

 

 

 次は桃田柳栄の描いた粟津晴嵐である。 

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桃田柳栄  近江八景画巻(部分)粟津晴嵐 貞享元年(1684)大津市歴史博物館所蔵

 画巻の冒頭部分に粟津晴嵐が描かれ近衛信伊の和歌が添えられている。但し粟津の風景は下段に描かれた集落が中心で上部に描かれている山寺と月に情景は石山寺である。

 琵琶湖や船や嵐の情景が描かれていないので和歌の雰囲気が伝わらないが、樹林に囲まれた粟津の景観が大きく描かれている。