2020年の秋
近江八景を行く(6)唐崎夜雨 その2
歌川広重の浮世絵と近代の絵姿
近江八景の唐崎夜雨を描いた絵は沢山あるが歌川広重の〝雨に煙る一本松〟(私称)は異色であるばかりか傑作であると感じている。広重の絵には雨の光景が時々あり得意とした画題であったとも考えられるが、その中では名所江戸百景53番〈大はしあたけの夕立〉と東海道五十三次45番〈庄野〉の〝白雨〟が出色である。片や急な夕立ちに橋上を走る男女を描き、一方は雨中に峠越えする人足たちの苦労姿が描かれているが、何れも動態画で、斜めに叩きつける雨の情景が主題である。
それに対して唐崎夜雨は極めて対照的で、降りしきる夜雨にしっとりと耐えるの湖岸の老松をクローズアップして描いている。雨が主題の筈であるが引き立て役の松の描き方が素晴らしい。梢を空の色と同じに黒で描き、幹と下枝をぼかして夜の感じを醸し出しており、唐崎夜雨と共に〝唐崎の松〟の情景画として一本立ちした名画であると思っている。
歌川広重を始めとした一連の近江八景絵画の中で構図的にも描写的にも特出した存在で、現代にその姿を想起させる力感を携えた写実的な作品であると感じ入っている。
近江八景の今昔を夢見て一番初めに思いつめたのが唐崎の松のその後の姿であった。
夜雨の歌題が松に取って代わられてしまった思いがしない程に強烈な印象がこの絵には籠められている。
歌川広重 近江八景之内(栄久堂板)唐崎夜雨 天保5年(1834)
大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)
下は 魚栄板の唐崎夜雨である。こちらは夜雨と云うよりは名木唐崎の松に焦点を当てた琵琶湖湖岸の夜の情景画である。夜雨の表現は日本人にとってはやはり難しい課題であり、良くぞ松を見付けたりと広重を褒めたい気持ちである。
名木唐崎の松(2代目の松)が枝を広げて湖上にまで届いている情景が分かるが、古文書(明治初期の神社由緒書)によれば高さ27m、幹回り11m、枝東西72m、南北86mと記録された巨大な松の木で、この浮世絵に描かれている景観が誇張ではない事が窺える。
大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)
江戸時代中期の絵姿 明治大正期の絵姿
長谷川等潤 江州唐崎大明神一ツ松正面西向之図 近江八景 写真絵葉書 明治大正期 個人蔵
安永~寛政10年(1772~98)大津市歴史博物館蔵
上の絵に描かれているのは何れも2代目の松で双方の間には約100年の年差がある。この松が植えられたのは天正19年(1591)で、当時の大津城主新庄直頼公等によると伝えられている。従って左上の絵の松は樹齢約200年、右上の方は樹齢約300年であることが分かる。
なお2代目松は樹勢が衰えてきたため明治20年(1887)に実生され、それが現在の3代目霊松として引き継がれている。(次号3代目松の現地写真)