旅先の思い出

 


 

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ホテルのメモ紙〔4〕ホテル・ニッコー・シドニー 

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 4番目に出て来たのはホテル・ニッコー・シドニーのメモ紙であった。

 少し黄色みがかった縦長の上質紙で上部にホテルマーク、下部にサービス文章が添えられている。形状が独特であるので目立つメモ紙であった。

   オーストラリア には早い時期に続けて3回訪れているが、このホテルに泊まったのは最後3回目の1994年6月末から7月初めにかけての旅であった。

 この時は駅前商業連合会主催の団体旅行で私が団長として参加した。総員100名近い大人数でゴールドコーストシドニーを巡る観光旅行であった。ホテルは郊外の静かな場所にあったと記憶しているが、現在はその名前が見当たらない。売却されたのか名前を変えたのか分からないが、既に四半期を過ぎた昔の話である。

 殆ど貸し切りのような状態で3泊ほどしたと思い返しているが、ホテルライフの記憶は蘇らない。気配りの非常に良い補佐役のお陰で無事に団長の職責を終えること出来たのを覚えている。

 この旅行ではシドニーで丸一日フリータイムを設けていた。参加者全員自由に計画を立て各自好みの観光に出掛けたが、私は予ねての念願でキャンベラを訪れた。海軍将校であった 中学校の先輩が太平洋戦争勃発直後に特殊潜航艇でシドニー湾に侵攻し、爆雷攻撃を受け沈没し殉死した。日本では軍神として崇められたが、此の将校の弟が私とクラスメートで卒業後も友人として長く付き合った。

 沈没した特殊潜航艇はその後オーストラリア海軍によって発見されたあと引き上げられてキャンベラの戦争博物館に保存陳列されていると聞いていた。郷土の先輩が若い命を捧げた記念すべき実物潜航艇に会いたい一心で、丁度巡ってきたフリータイムの一日を当てることにした。

 シドニー空港から空路キャンベラに飛び戦争博物館を訪れたが、目当ての特殊潜航艇はかなり離れた別館倉庫に移されていた。タクシーで当該地まで移動したがあいにく倉庫は締まっており呆然立ちすくんだが、裏に廻り呼び掛けたら管理人が出てきたので事情を話したところ、1時間だけ開けて見学を許して呉れた。遥か日本から訪ねてきた海軍将校ゆかりの日本人に対する暖かい思いやりに感謝して太平洋戦争初期の昭和17年初頭における日本海特別攻撃隊の最後の姿と対面した。感動に胸を詰まらせつつ見学し撮影した写真が残っていたので下に掲載した。

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           特殊潜航艇の前で管理人から説明を受ける。

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        切断して保管してある特殊潜航艇と魚雷発射管の断面

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         特殊潜航艇の潜望鏡部分と取り出して陳列された魚雷

 

ホテル・ニッコー・シドニーの白紙のメモ紙が30年前の生々しい思い出を蘇らせた。