旅先の思い出

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ホテルのメモ紙〔23〕

 スタイゲンベルガー・アイゼナハ

    2004年(平成16年)2月末

    名古屋ヘンデル協会ドイツ・ハレ メサイア記念演奏会出演記念

名古屋ヘンデル協会設立40周年記念事業で実施されたヘンデルの生誕地ハレ市におけるメサイア記念公演に特別随行者として参加させてもらい、途中、バッハの生誕地アイゼナハに立ち寄り一泊してバッハ博物館始めバッハ記念の旧跡を訪ねた。

 バッハとヘンデルの生誕地を同時に訪れる事が出来るチャンスに恵まれて最高の喜びであった。

ホテルには夜着いたので夕食を済ませてすぐに就寝したが翌日のバッハ博物館の見学でバロック音楽の聖地ならこその展示物や雰囲気を味わい、更に市内の各地で地元の人たちと交流するなど充実した一日を体験した。

 メモ紙は上品な紙質で薄い白色であるが、写真で見るとスタイゲンベルガーの文字が下が切れてずれている。現物を仕舞い忘れて今確認の仕様が無いが全体から見て印刷がずれたとは思えない。ひょっとしたらお洒落でこのようになデザインにしてあるのかも知れないと思っている。。その下の文字はホテル・チューリンゲン・アイゼナハではっきりしている。

         



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ホテルのメモ紙〔22〕ホテル・ケンビンスキー

    ミュンヘン 2000年6月3~5日

       ヨーロッパ音楽めぐり・夫婦二人旅

          

                メモ紙

 ケンビンスキーホテルは数ある宿泊ホテルの中でも忘れる事の出来ない存在である。

予ねて念願であったクラシック音楽をヨーロッパの本場で体験したいと計画し、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団ミュンヘン国立歌劇場の入場券をミュンヘン在住の石川竜子さんに購入依頼し、ウイーンとプラハの演奏会日程も勘案してスケジュールを立て洋子と一緒に勇躍出発した。

 最初の訪問地がミュンヘンで石川夫妻の出迎えを受け向かったのが宿泊のケンビンスキーホテルであった。

        

          ケンビンスキーホテル(左側赤い旗)

 場所はメモ紙に記載されているがマキシミリアン・ストラッセで広い道路を真っ直ぐ数町下ると同じ側にバイエルン国立歌劇場に通ずる好位置である。

 ミュンヘンでも高級ホテルに数えられており、フロントに着いた瞬間から格式の高さが窺えた。歌劇場の公演に合わせた2泊3日であったが、部屋も食事もルームサービスも良く快適なホテルライフであった。料金も高かったがそれに見合った環境でミュンヘン滞在の基地として心地よい思い出を残している。

              ホテル客室と正面玄関

 お目当てのミュンヘン国立歌劇場へ2日間連夜の鑑賞で本場の音楽を堪能した。初日がオペラで2日目はオーケストラ演奏会と云う私にとってこの上ない組み合わせであった。ヨーロッパはやはりオペラがメイン・イベントですべてにおいて華やかさで満たさている。出し物はリヒャルト・シュトラウス作曲のナクソス島のアリアドネであった。

 オペラはオーケストラほどに精通していないが一応の知識と鑑賞経験を有している。最近は(と云っても20年前の当時の事であるが)古典的な演出が姿を消し、シンプルな演出が多くなっているようで当夜も舞台装置は簡略ですべてが現代的に推移した。それでもリヒャルト・シュトラウスミュンヘン生まれの大作曲家であることからミュンヘンの人たちの熱烈な拍手に感動して本場のオペラに溶け込んだ。

        

             バイエルン国立歌劇場

 第2夜のオーケストラ演奏会はバイエルン国立歌劇場管弦楽団によるマーラー交響曲第5番で指揮がケント・ナガノであった。出始めのホルンのソロから体が痺れたが、クラシック音楽に馴染み始めた頃から憧れていたオーケストラであることから本拠地で聴けた喜びで感激の極みであった。ケント・ナガノは日系カナダ人の世界的指揮者であるが、この後2006年から長くバイエルン国立歌劇場管弦樂団の音楽監督を勤めており、かれの指揮で大作曲家マーラーの第5番が生で聴けたのは音楽愛好人生中における一大好事であった。

 ミュンヘンのメモ紙には多くの記憶が宿っている。さらに言えば今現在我が親愛なる孫娘の真悠がミュンヘン音楽大学のマイスタークラスに在籍してピアにスト目指して研鑽中である。クラシック音楽教育界の最高峰とも云うべきミュンヘン音楽大学に孫が留学するど夢にも思わなかったが、才能に恵まれて研鑽に励んでいることは誠に嬉しい事である。

 出来ればもう一度ミュンヘンを訪れてその地で孫の演奏に接したいが齢90を前にしてはこちらこそ夢物語である。

        

 語り尽くせないほどの思い入れを持つミュンヘンを後にして、ケンビンスキーのメモ紙をケースに入れ込み、更に良い音楽を求めて旅だった。列車でウィーンに赴き、飛行機でプラハに飛び、再び列車でドイツに帰り、ベルリンとハンブルグを巡る音楽の旅を楽しんだ。



 

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ホテルのメモ紙〔21〕キュナード

 イギリス豪華客船 クイーン・エリザベス2世号

 乗船2002年9月13日~9月19日  大西洋横断船旅宿泊

  出港イギリス・サザンプトン⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨入港アメリカ・ニューヨーク

ホテルのメモ紙の中に特別な一枚が混ざっていた。

市中ホテルではなく海上ホテルでイギリスが世界に誇る豪華客船クイーン・エリザベス2世号の客室メモ紙であった。

          

 クイーン・エリザベス2世号乗船は丁度20年前で時期も9月で思い出が深いが、10日前にイギリスのエリザベス女王が96歳で亡くなられ、この9月19日にウエスミンスタアー寺院で国葬が開催される時であるだけに、メモ紙が出て来たのには深い因縁の存在を痛感する。
 クイーン・エリザベス2世号乗船は長年の夢であった。当時世界は豪華客船競出の時代で日本でも飛鳥や日本丸など豪華客船ブームが到来していたが、半世紀前からの伝統のある旧船型のクイーン・エリザベス2世号に憧れを感じ乗船のチャンスを狙っていた。
 私の終生の趣味である帆船模型を含めた「見る船・乗る船・作る船」の一環で乗る船の頂点をクイーン・エリザベス2世号と定めていたところ、大西洋横断の定期航路就航のニュースに接し、家内と二人の個人旅行で利用することにして、西廻りでのアメリカア大陸訪問に利用した。この船に乗るために飛行機でロンドンに飛び列車でサザンプトンに赴いて乗船した。タイタニック号が辿った航路とほぼ同じ航路を感慨を噛めて渡ったがその時の感想・記録は随想スプーンの歌声・番外編・8章による洋上回想録に詳しく納めている。

サザンプトンからニューヨークへ

           

         

 

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ホテルのメモ紙〔20〕DE VERE HOTEL

  デ ベア ホテル イギリス・ロンドン  1999年10月14日~宿泊

       

  

    メモ紙のホテル名を見て咄嗟には思い出せなった。

 

何処の国のホテルか見当がつきかね、また何時泊まったのかも分からないホテルであった。文字だけ見るとフランスかと思ったが旅行ルートを辿っても浮かび上がらず、はたまたカナダかと考えたが違っていた。ネットで調べたらイギリスのホテルとして出てきて各地に存在した。ウィンザーコッツウォルズやバッキンガムなど数多く出てきたが結び付かず消去法で絞り込んだ結果、ケンジントンのホテルであったと結論が出た。

 1999年(平成11年)10月に同期入社旅行会でヨーロッパ旅行をした時に最終訪問したロンドンのホテルであった。市内の名所見物に忙しくホテルライフに記憶は残らないが、最終日であった事から残った経費を使い切り豪勢な晩餐会をしたのを覚えている。

 メモ紙は上質で品格を備えている。下辺中央のライオンマークはイギリスでよく使われており、私には特に馴染み深い絵柄である。

 ヨーロッパではイギリスを中心に銀製品の格付けが厳格に行わており、私の趣味であるスプーンでも産地、純度、年度などを示すホールマークが定着しており、その中にライオンマークが登場する。

 従ってライオンマークを見てイギリスを連想したが、ホテルに直結するには少々時間を要したと思っている。

            

             

         イギリスで広く使われているライオンマークの一種

         立ち上がって口を開け舌を出して威厳を示している。

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ホテルのメモ紙〔19〕

シェラトンセンター・トロントホテル                 

                   平成9年9月8日・カナダ旅行第1夜

 シェラトンホテルは世界各地にあり、あちこちで宿泊した記憶があるのでメモ紙が出てきてもすぐには場所と時期が分からなかった。

 メモ紙下部にあるアメリカ・カナダの印刷から絞り込んでトロントである事が判明した。同期入社の旅行会でカナダを訪れた時に宿泊した。

 メープル街道とナイアガラ見物でそのあとバンフからアサバスカ氷河、カルガリバンクーバー、ビクトリアと回って帰国した。

 シェラトンセンターは大きなホテルであったが夕方到着し一泊しただけで翌朝ナイアガラに向け出発したのでホテルライフの想いではない。

 夕食後の外出してCNタワーから夜景を眺めた記憶が鮮明である。

 オンタリオ湖を経てメープル街道の紅葉を楽しみナイアガラまでの景色がメモ紙に浮かんでくる。

            

           

           

            

           現在のトロントシェラトンセンターの光景

 

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ホテルのメモ紙〔18〕ドリントホテル

  出て来たメモ紙を見て何処のホテルであったかすぐには思い出せなかった。

  ネット検索でドレスデンが出てきて俄然記憶が蘇ってきた。     

         

 メサアイアのヘンデル協会ドイツ演奏旅行の帰路ドレスデンを訪れ、観光とオペラ鑑賞を楽しんだ。その時の宿泊ホテルがドリントであった。
   ドレスデン宿泊 2004年2月28日~3月1日

      

       正面街路から眺めたドレスデンのドリントホテル(現在)

        玄関前広場に市電が通っていた思い出がある。

 ドレスデンでは再建中の聖母教会を始め旧市内の観光やツビンガー宮殿・美術館など重厚なドイツ芸術に魅せられたが、一番の思い出はオペラ鑑賞であった。 

        ドレスデンの旧市街建造物とゼンパーオーパーの全景

 ドレスデンの歌劇場はゼンパーオーパーと称してウェーバーを始めとしてドイツオペラの歴史的殿堂でクラシック音楽ファン垂涎の聖地である。昼間に観光で歌劇場の建物を見物したが夜にはオペラ鑑賞がセットされていた。

 出し物がベルク作曲の歌劇ルルである。現代ウイーン楽派12音音楽のシェーンベルクの流れをくむ作曲家で強い関心を抱いているが難解な曲が多く近づき難い音楽である。オペラは専門ジャンルではないのでルルなどなお一層難しいのであるが、こんな時でないと鑑賞出来ないと思い、気張って準備し当日を待っていた。

 夕食が終わってオペラ鑑賞のためホテルを出発するときに一寸したアキシデントが発生した。同行していた長野県の合唱団メンバーの集まりが悪く人数が揃わない。やきもきしながら20分ほど待たされていたのが下の写真の一階ロビーであった。     

     ≪インターネットはすごい! こんな写真が見付かった!≫

       

 右側階段上の2階踊り場で長野県合唱団が固まっていて中々降りてこず、時間だけが刻々と過ぎて行った。何をしているのかと怒りを覚えたが我慢して待ち、やっとの事で全員集合し、ガイドの案内で市電ですぐ近くのゼンパーオーパー広場に到着した。

 小走りで一番近い入り口から歌劇場に駆け込み、劇場内に飛び込んだ。時間ギリギリである。開演間際で指定席を探す暇はなく、やむなくオーケッストラボックスと最前列客席の間の通路を観客に謝りながらやっと通り過ぎ最後部に廻り、空いている席にそれぞれ着席したら場内が暗くなりすぐに指揮者が現れて序奏の音楽が始まった。

                    

       ≪これもすごい写真が見付かった。この場面を思い出す!≫

 ルルは抜粋で聴いた事あったが全曲生鑑賞は勿論初めてであり、もともと難しい上に演出がシンプル超現代的で、時間遅れでプログラムも買えずセリフも判らず、落ち着きのないままでオペラは進行した。

 本場の歌劇場で鑑賞するオペラは一生に何度もやってこない。1970年のウィーン国立歌劇場でのワーグナー、プチーニ、ヴェルディの3夜連続鑑賞のほかにはミュンヘンバイエルン国立歌劇場でのリヒャルト・シュトラウスナクソス島のアリアドネしかなくドレスデンは本当に楽しみにしてきたが、とんだアキシデントに見舞われて落ち着いて鑑賞出来なかったのが誠に残念であった。

 時間だけ経過してベルクのルルは終わってしまった。終演して帰る観客の渦に押されて外に出る時に回廊で目にした装飾が僅かに眼に残っただけで、正面ロビーに施されている歴史的彫像・装飾物も全く見る事が出来ず誠に心残りであった。 

           

      歌劇場で記憶に残るのはこの場所だけである。情けない!

   今回はドリントホテルのメモ紙が出てきて思い出が沢山蘇って来た。

 

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ホテルのメモ紙〔17〕ソコス・ホテル

 出て来たメモ紙を見ても全く思い出せない。

 海外旅行での宿泊先である事は間違いないのであるが、国名は勿論の事時期も場所も、旅行目的も皆目分からない。

 ネットで探すことにした。

         

 マイアミやロスやラスヴェガスなどアメリカのリゾート地と北欧に展開するホテルであると分かったが、建物の写真や宣伝文句などからフィンランドヘルシンキで泊まったホテルであるという記憶が蘇ってきた。そもそもヘルシンキでの宿泊ホテルそのものに記憶がないのであるからまず間違いなところである。

 会社の同期入社の退職仲間で海外旅行チームを作り各国を旅し憧れの北欧はバルト海豪華客船シリアラインでフィンランドに到着しヘルシンキでも2泊して森と湖の国の景色を楽しむとともにシベリュウスの音楽に親しんだ。

 2001年(平成13年)6月夫婦同伴で楽しい思い出がある。

 21年前はまだ60代後半で若く元気であったが、もう海外旅行に出掛ける体力はなく、昔を偲ぶばかりである。コロナが終息しても旅に耐える体ではなくなっているので寂しい限りである。