2020年の秋

近江八景を行く(1)矢橋帰帆その1

 近江八景は琵琶湖の南端両岸から石山寺にかけて点在する。八景表示の順序は古来幾通りも継承されており、特定の決まりは存在しない。私は従来から地図上の南から順次北上する形で八景を観察してきたが、今回の訪問では大津到着後に大津市歴史博物館に立ち寄ったためそこから北上して最初に三井寺を尋ね、そのあと比良山、堅田、唐崎と南下し、プリンスホテルで一泊後に粟津、瀬田、石山寺と琵琶湖南端から瀬田川沿いを歴訪し最後に矢橋を訪れた。

 今回近江八景の紀行文を書くに当り、自分なりに琵琶湖の地形に思いを馳せ、嘗ての景観を順次巡り歩くイメージを醸成する目的で東側からスタートし、南下して石山寺で折り返してから琵琶湖西岸を北上するコース設定で八景構成する事にした。実際の訪問ルートとは異なるが一景一景を深堀りする形で近江八景の今昔に迫って行きたい。

 最初は矢橋帰帆である。

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 近江八景の起源は16世紀末から17世初めにかけて文化人としても活躍した近衛信伊(のぶただ)の和歌に拠るとされている。(旧説には近衛政家の作(明応9年・1500年)とする説があるが、最近の研究では信伊説が有力で大津市歴史博物館の資料もこれに拠っている。)

 近衛信伊は永禄8年11月1日(1565年11月23日)生まれの近衛家第18代当主で従一位・関白・准三宮・左大臣。能筆家で本阿弥光悦らと共に「寛永の三筆」と称された。

 和歌にも長じており、当時公卿や禅僧の間で鑑賞され出していた八景にも強い関心を抱き、文禄3年(1594年)後陽成天皇から勅勘を受けて九州薩摩の坊津に配流されて居た折に彼の地において「坊津八景」を選定し瀟湘基準に則った八景歌を詠んでいる。

 許されて2年後に京に戻っていることから、近江八景はこの前後の作品であると推定している。因みに近江八景と坊津八景の情景描写は八景とも同一で「帰帆・夕照・秋月・晴嵐・晩鐘・夜雨・落雁・暮雪」である。

 現在の近江八景は近衛信伊の和歌を基台として大和絵による絵巻物や浮世絵をはじめとした版画などでビジュアル化され、江戸時代を通じて八景画の頂点に君臨した。

 資料に限りがあるが、大津市歴史博物館が平成22年に開催した企画展「近江八景」の図録引用を中心にし、今回訪れた現地写真等を加えて近江八景の深奥に近付きたい。

 下は大津市歴史博物館「企画展」図録に収録された大和絵近江八景画巻のうち「八橋帰帆」の部分画である。

 左絵・土佐光起・近江八景画巻(部分)承応3年~元禄4年(1654~1691)

   江戸時代前期の土佐派を代表する絵師

   矢橋港の人家と船着場に帰帆する舟、背後の情景と山並みを描いている。

   和歌は近衛信伊作の近江八景・矢橋帰帆(前掲)である。

 右絵・桃田柳栄・近江八景画巻(部分)貞享元年(1684)

   江戸時代前中期の狩野派絵師・狩野探幽門下四天王の一人

   矢橋港の集落と波止場に係留されている船、帰帆する船が多数描かれ、背景は山
   並みに溶け込んでいる。陸地の前に島があり橋で繋がれている。

   和歌は同様に近衛信伊作の近江八景・矢橋帰帆(前掲)である。

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 上掲の大和絵(部分)から江戸時代初期~中期の琵琶湖岸の情景が浮かび上がるが、特に右側の桃田柳栄の絵は30年の時代が過ぎているだけの描写が細やかで対象物も広範囲である。波止場らしき設備は描かれていないが帆船の規模・大きさ・隻数などから矢橋の港が単なる土場ではなく矢橋宿の渡し場として重要な位置を占めていたことが伝わってくる。また水道を隔てた向かいの島への橋が描かれているのが確認出来るが、現在の矢橋帰帆島との位置関係を示す記録として貴重である。

 

歌川広重近江八景之内(栄久堂版)矢橋帰帆 天保5年(1834年)

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  大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館蔵)

 桃田柳栄より約200年後の江戸時代後期に描かれた浮世絵版画の一級作品である。背景はなく琵琶湖の景色と波止場の風情を描いているところが新企画である。整備された道路には柳の木が植えられ、集落から繋がる波止場には2本の突堤(船着き場)が設けられているのが良く分かる。この絵には常夜灯が描かれていないので未整備であったのか。帰帆する船の彼方は琵琶湖の対岸と思われるので現在の矢橋帰帆島は無視されていると考えられる。
 なお浮世絵に添えられている和歌は近衛信伊が詠んだ近江八景・矢橋帰帆である。

歌川広重 近江八景(魚栄版)矢橋帰帆 安政4年(1857年)

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大津市歴史博物館発売絵葉書より複写(原画・大津市歴史博物館所蔵)

 前作より20年を経過した歌川広重の浮世絵・近江八景矢橋帰帆である。

 縦書きの上、画風に変化が見られるが湖面から眺めた矢橋の港がフォーカスされ背後の山々も美しく描き出されている。焦点が帆船に当てられていて大型化した船が港に入る情景は港町宿場の隆盛を思わせている。突堤は隠れているが常夜灯がはっきりと描かれているのが新鮮である。雲上の和歌は当然の事ながら近衛信伊作の近江八景・矢橋帰帆で、画底の濃藍をベースにした縞状の色彩バランスが誠に美しい。

 

以下次号

矢橋帰帆の位置・今昔と現在地訪問