旅先の思い出

旅先の思い出

ホテルのメモ紙〔2〕

 二番目に出て来たのは葉書半裁サイズの小さなメモ紙である。

スカンディックホテル=SCANDIC・HOTELのメモ紙で下に小さくSLUSSEN STOCHOLM CITYと印刷されている。右上のマークは太陽が海から昇って来る様子の図案ではないかと思っている。

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 平成13年(2001年)6月中旬から約10日の予定で北欧4か国を周遊した。
この時は会社の同期入社仲間との海外旅行会の一環で関空からKLMオランダ航空でアムステルダム経由ノルゥエーのオスローに入り、ノルゥエー~デンマークコペンハーゲンのみ)~スゥエーデン~フィンランドのコースを列車と船を使って周遊した。
 途中バルト海は豪華客船の旅が2回あり、列車も残雪山河や平原の風景に恵まれて快適な旅を経験した。
 メモ紙のスカンディック・ホテルはチェーン・ホテルの一つであると思うが、スェーデンの首都ストックホルム郊外に位置する中級ホテルであった。

 旧市街ガムラスタンから入江一つ渡った小高い丘の上にあったように記憶している。玄関に入るとすぐにフロントがあり受付の女性二人がにこやかに応対してくれたが、丁度その日が夏至に当たっていたので特別の衣装を身に着け頭に月桂冠のような木の葉の飾りを巻き付けていたので印象が強くよく覚えている。

 夏至は日本ではカレンダーに印刷されている程度であまり意識しないが、日照時間の少ない北欧では待望する国民的な祝い日である事を知らされた。

 コペンハーゲンからの長距離列車旅で疲れていたので到着早々夫妻揃った全員でワインパーティを開いたが、会場が狭く窮屈であったのも覚えている。

 ホテルライフは全く記憶にない。メモ紙だけは沢山貰って来た様で二日間の滞在中ポケットの中で観光に付き添ったようであった。

 ストックホルムは1970年(昭和45年)に訪れて以来2度目で懐かしかったが、300年前に沈没したスェーデン海軍の軍艦ヴァーサ号引き揚げ記念館見学を熱望していたので、一行グループと別行動で一日趣味の勉強体験を楽しんだ。

 ヴァーサ号体験記はいずれはてなブログに投稿するが、それまでの間はこの小さなメモ紙の白紙の中で待っていてもらいたい。

 

 

 

 







 

旅先の思い出

旅先の思い出 


 

ホテルのメモ紙〔1〕

 海外旅行に別れを告げて15年が経過した。自慢出来るような回数には程遠いが目的を絞った旅行を通じて余暇人生を楽しめたと思っている。

 旅行記もそれなりに書いて自己満足に浸り、集めた土産の置物に囲まれた書斎が我が老境の居場所である。

 昨年卒寿の祝いを謹授して身の回りの整理に気を配りつつ暮らす日々であるが、捨てきれずに残している雑物が色々とある。

 旅先ホテルのメモ紙(用箋)がその一つで、処分しきれずに残したのが自然に溜まり小箱に詰まっていた。ホテルの部屋に用意された備品の筆記用具はボールペンとメモ紙で、本来滞在中の便宜使用であるべきであるが、時には便利なためチェック・アウト時に頂戴して帰ったっりするのは許された行為の範囲内であると思っている。

 ボールペンは備品の性格が強く頂戴するには気が引くが、メモ紙は消耗品であり都合がよいのでほぼ毎回の宿泊で数枚ずつはがして手帳に挟み、現地で使用するか、そのままになって持ち帰ったりしていた。

 帰国後に一部は日常のメモ紙として使ったこともあったが、パソコン・プリンターの失敗反古紙が増えるにつけてお役御免となり、廃棄寸前の身の上となっていた。

 メモ紙は全て未記入で白紙であるが、印刷されたホテル名だけが厳然と存在感を訴えている。若しかしたら記録しなかった記憶が詰まっているのではないかと郷愁が蘇り、1ホテルずつ対面していく事にした。

 順番はランダムで出て来た順である。思い出もその時々の単発で書き綴って行こうと考えている。どんなことになるのか、途中で挫折するかも知れず先行きは不明である。

 最初にで出て来たメモ紙は思い出深いホテルであった。

 

(1)ホテル・エレファント ドイツ(旧東ドイツ) ワイマール市

(メモ紙)卓上箋と云うべきか?

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 エレファント・ホテルのメモ紙は薄いベージュ色、中厚、ハガキ大の上質紙で上部にホテル紋章の像の絵が刷り込まれている。下部にはアラベラ・シェラトングループのラグジュアリーコレクション・マークが印刷され、その下に住所・電話番号が書き込まれた完全版である。これこそメモ紙の王者であり、どうぞご自由にお使いくださいと云わんばかりのサ―ビス品であった。
 メモ紙の説明が先になったがエレファント・ホテルは思いのほかに高級ホテルであった。当初旅行日程表のホテル名を見てドイツでエレファントという名前はアン・マッチで大衆ホテルかなと思って出掛けたが、どっこい大きな間違いであった。

 なんと1696年創業の伝統ホテルで、ゲーテ、シラー、リスト等地元の文豪・音楽家は勿論の事、トルストイ、バッハ、メンデルスゾーンワーグナークララ・シューマンと云った世界の大作家・大作曲家や演奏家が滞在した歴史的なホテルであった。

 ゲーテの詩が書かれたパネルの前でのディナーに興奮したのも楽しい思い出であるが朝食時の部屋のムードとコーヒーの美味しかったが忘れられないでいる。

 メモ紙は白紙のままであるが透かして見るとベッドルームやロビーや中庭の様子などが浮かび上がってくるようで、ワイマールへの郷愁が懐かしさと共に蘇ってきた。

 ワイマールへの訪問は2004年(平成16年)2月25日で、妻が加入していたヘンデル協会のメサイア演奏旅行付き添いという名目参加であった。クラシック音楽愛好者の端くれとして本場のドイツ、しかも旧東ドイツ地区への旅行に胸ときめかし、団体に先駆けて家内の友人3人と先行してバロック音楽の聖地を順歴した。ワイマールもその一環でフンメルやリストの家を見学するなど大いなる収穫を得た街であった。

 余談(とても貴重な余談)になるが、家内とその楽友4人組はエレファント会という会を作って楽しんでいる。(コロナ禍で中断しているようであるが)

 宿泊当日ホテルのブティックでお土産物色中に象を模った金のブローチを見付け互いが気に入った。偶々2個しか在庫が無かったが同種の商品が隣接する貴金属店にあると知らされ、4人揃ってエレファント・ブローチを入手して、エレファント会を結成した。帰国後毎年1回ほど集まって歓談しているが、その際には4人全員がエレファント・ブローチを着けて参加する慣わしが今でも続いている。気の合った合唱仲間の会で私も一度だけ特別参加させて貰ったが、長続きの絆がエレファント・ホテルのブローチであることを痛感した。

 ホテル・メモ紙の回想も満更ではないと思いながら、ネットで検索したらエレファント・ホテルの写真が沢山登場した。当時より奇麗になっている思いであるが、その中から外観とコーヒーが素晴らしかったレストランの写真を下に掲載した。

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2020年の秋

近江八景を行く(8)比良暮雪 その3

 

現地山麓訪問 2020年11月27日(金) 午後13時半 天気快晴

 

比良暮雪標識を見付けた。

 大津市市街地から志賀バイパスを北上し、北比良地内に入ったところで322号線を右折れし湖岸を走る西近江路(558号線)と交差した所で左側の角に立つ白い標識塔に気が付いた。空き地に車を停めて確認すると〝近江八景・比良暮雪〟の標識で石柱の側面には比良山登山口と彫り込まれていた。

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 標識の立つ場所を地図上に示したが、西近江路(558号線)と322号線の交差点西北角で、石柱側面にこの地点が登山口であると表示されている。交差点の東南角から東方向には〝びわこ成蹊スポーツ大学〟のキャンパスが広がっているが、周辺は広々とした山麓平地帯である。

 

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 上空から見た北比良地区と比良山系。中央の道路が322号線で、標識は写真下部の道路端から少し外れて右側に立っている。

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 「比良暮雪」の標識と対面        登山口から322号線先に比良山を見る

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      近江八景・比良暮雪の今昔

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 今回は 訪問した季節の違いで実際の暮雪の光景を見ることは出来なかったが、この写真の比良山と麓の集落や湖面の情景から、在りし日の近江八景の景観を想起した。以上

2020年の秋

近江八景を行く(8)比良暮雪 その2

浮世絵の世界

歌川広重近江八景・二題

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近江八景之内(栄久堂板)比良暮雪 天保5年(1834) 
大津歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 比良山系の山々が嶮しく描かれているところが特徴で、厳しい冬を耐え抜く湖岸の集落にも積雪の季節感が漂っている。添えられている近衛信伊の和歌とは少し異なる感情を与える絵であるが、数ある浮世絵・比良暮雪の中ではやはり出色で構成力が大きく見る人を引き付ける作品であると思っている。 

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近江八景(魚栄板)比良暮雪安政4年(1857)
大津歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 こちらも広重の作品であるが、構図が決められた魚栄板であるため比良山の情景はデフォルメされて描かれている。対岸は沖ノ島で左の高嶺は三上山と思われる。
 湖を取り巻く雪山の景色は厳しいが雪解けも見られ、絵全体からは何となく春の兆しが感じられてくる。

 

歌川国長の浮世絵・比良暮雪

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   歌川国長 近江八景 比良暮雪  江戸時代(18世紀)
 大津市歴史博物館企画展近江八景より(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 歌川国長は18世紀末から19世紀初めにかけて活躍した江戸の浮世絵師である。生年・没年は不明で作品には東海道五十三次も含まれている。参考までに草津宿の絵が見付かったので併掲する。歌川広重より10年か20年ぐらい前に多くの作品を描いている。広重と較べると作風が初歩的である事が良く分かる。比良暮雪の絵も同様であるが麓の集落の雪景色が中心で比良山は添えられた格好で描かれている。 

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       参考絵 歌川国長画 草津宿東海道シリーズ)

 

比良暮雪・遊女版二題

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歌川広重(藤慶板)比良暮雪 草津市蔵       歌川国貞(豊国Ⅲ)比良暮雪 大津市歴史博物館蔵

 双方とも手前の置かれているのは雪の塊である。広重の絵ではうちわの先に火鉢(火起こし)に載せられた急須が描かれている。溶かした雪で茶を淹れるのが風流であったのか、比良暮雪の絵を前にして遊びであったと思われる。国貞の絵には近衛信伊の和歌が添えられているが広重の絵にはない。比良山の情景は広重の方が細やかに描かれている。

 

 

 

 

2020年の秋

 


近江八景を行く(8)比良暮雪  
その1

  跡地今昔 2020年11月27日(金)山麓訪問 天気快晴

         冬季の比良山系雪景色・昔も今も変わらない。

 近江八景の中で比良山の暮雪風景だけは昔も今も変わらない。麓の風景を外して比良暮雪の景観は語れないが、せめて山頂の景色だけでも当時を偲びたい気持ちで下に写真を掲載した。近衛信伊はこんな雪山の情景を眺めて比良暮雪の和歌を詠んだのであろうと想像した。

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        近江八景画巻より   (大津市歴史博物館所蔵 )

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桃田柳栄 比良暮雪(部分・堅田落雁と連続画)貞享元年(1684)大津市歴史博物館企画展近江八景より

 

 

 上の絵は桃田柳栄の近江八景画巻の部分であるが比良暮雪と堅田落雁が一体画として描かれている。比良暮雪の和歌の左方向に連なる山並みが比良山系で白い雪に覆われている。

 堅田の浮御堂に舞い降りる雁の群れは比良山系から飛んできたという構図である。   近衛信伊の和歌よりも雄大な冬山の情景が 描かれている。

       近江八景画巻より (大津市歴史博物館所蔵)

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藤井重好 比良暮雪(部分)宝暦5・6年(1755・56)大津市歴史博物館企画展近江八景より

  江戸時代中期の画家が描いた近江八景画巻の比良暮雪部分である。近衛信伊の和歌の意を汲んで花を落とした梅の木らしき樹木が雪と馴染んでいる情景が描かれている。

近代の絵画と絵姿

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 野村文挙 近江八景図 明治32年(1899)     明治大正期の近江八景絵葉書 比良暮雪

      滋賀県立近代美術館

 



 上は共に明治期以降における比良山の情景である。野村文挙の絵は比良山の雪景色であり、絵葉書の方は山に残る雪の情況から初春の湖岸風景であると考えられる。














 

2020年の秋

 


近江八景を行く(7)堅田落雁 
その3

跡地訪問 2020年11月27日(金) 午後3時 天気快晴

現地地図 満月寺浮御堂の位置

 堅田は琵琶湖南湖の入り口、西湖岸の一番狭まった所に位置しており、すぐ北には琵琶湖大橋がか通っている。

 西近江路(558号線)の仰木口信号から湖岸に向けて車で暫く行くと満月寺に突き当たる。

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                堅田湖岸・浮御堂の上空図

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  山門前に数台収容の駐車場があり、条件がよければ駐車可能である。当日は幸い   空きがありスムーズに入山見学した。

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     堅田萬月寺山門と浮御堂の石碑

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        海門山満月寺 建立 長徳年間(995年頃)

  

近江八景堅田落雁の石標          正面から眺めた浮御堂 

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       近江八景堅田落雁の選定地、浮御堂現在の景観 

 江戸時代より続いた先代の浮御堂は昭和9年に解体され、昭和12年に現在の浮御堂が再建された。

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  堅田の浮御堂は流石の景勝地で平日であったが観光客の姿が絶えず写真撮りに苦労した。石山寺三井寺等は八景以外でも著名な観光目的地で常時賑わっているが、その他の八景跡地である矢橋湊、瀬田唐橋、粟津湖岸、唐崎神社や比良山などはやはり特殊な場所で目的客が主体である。その中で浮御堂はやはり人気スポットである。

                           

                芭蕉の句碑

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             元禄4年の仲秋名月の翌日、十六夜に月見の宴催し詠まれし一句  

                     鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂 

   

    冬の一句(浮御堂境内句碑)   芭蕉

         比良三上 雪さしわたせ鷺の橋

2020年の秋

近江八景を行く(7)堅田落雁 その2

浮世絵と近代の絵

歌川広重

  近江八景之内(栄久堂板)堅田落雁 天保5年(1834)

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              大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写 (原本・大津市歴史博物館所蔵)

 小さく突き出た浮御堂と周辺の葦原に舞い降りる雁の群れが主題であるが、背景の山々と遥かなる舟運風景と広々とした琵琶湖の風景が近江八景の景観美を物語っている。矢橋帰帆、粟津晴嵐、瀬田夕照と共に湖面と舟を組み合わせた作品で、いずれも優劣つけ難く、広重の表現力の豊かさを痛感する。

        近江八景(魚栄板)堅田落雁 安政4年(1857) 

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           大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写 

         近江八景(藤慶板)堅田落雁 弘化~嘉永年間

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      大津市歴史博物館企画展近江八景より引用

 魚栄板は浮御堂と落雁に焦点が当てられた作品である。魚栄板に共通した構図で纏められているためどちらかと云えば平凡化は免れない。絵の方角から判断して正面に聳える山は三上山であると思われる。

 下の絵は遊女・芸者をモデルに入れた藤慶板の一連の近江八景画で別の趣きがある。八景の絵は添え画で小型であるが風景の描き方はかなり精密で、雁が列をなして浮御堂脇の葦原に向かって舞い降りて来る様子は迫力に富んでいる。遊女が筆を咥えて反物を見ている所作が何を暗示するのか私には分からない。着物の裾模様に水に遊ぶ雁が描かれており芸が細やかである。 

 堅田満月寺浮御堂の摺り絵    近江八景堅田浮御堂一覧之圖

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    堅田萬月寺に伝わる刷り絵で浮御堂を中心に近江八景の各景観地を取り入れた広域画である。作者の虵足軒霞粛は調べてみたが分からない。膳所城が描かれているので徳川家康以降の江戸時代であることは確実であるが詳しい年代は分からない。

  琵琶湖西岸の堅田から左右正面に比良山・石山寺・矢橋湊までを入れ込んだ近江八景全体が描かれており位置関係が良く分かる。特に対岸から瀬田川に至る矢橋帰帆と瀬田夕照と石山秋月と粟津晴嵐の位置関係がうまく描かれており浮世絵とは一味違った趣を与えて呉れている。彩色刷りの浮世絵と違って安価であり景勝地のお土産などにも使われたのではないかと思っている。


満月寺・浮御堂

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 昔の今も浮御堂はやはり琵琶湖を代表する景観である。ただ昔の絵には浮御堂周辺に葦が生えているのが確認されそこに雁が舞い降りているが、現在は湖面に葦は見当たらない。