2020年の秋

近江八景を行く(4)粟津晴嵐 その2

浮世絵と近代の絵姿

下は歌川広重の浮世絵である。

f:id:karisato88:20210325110307j:plain

歌川広重 近江八景之内(保永堂板)粟津晴嵐 天保5年(1834) 

大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵) 

 景観の捉え方が素晴らしい。さすがに広重で近江八景の中でも自然の風景が余すところなく取り入れられた傑作である。嵐の予感を感じないのが残念なところであるが、湖岸の松林は雄大晴嵐の気運(立ちのぼる山気)を存分に発揮させながら並木の姿を現代に伝えている。

 

 

 正面に聳えるのは比良山であろうか、巨大な山塊と広い琵琶湖と城下町の街並みが均整の取れた構図で収まっており、岸辺に向かう白帆や小舟の様子に讃として添えられた近衛信伊の結句の心が込められている。蓋し名画である。

 次も歌川広重の浮世絵である。

f:id:karisato88:20210325110508j:plain

歌川広重 近江八景(魚栄板)粟津晴嵐 安政4年(1857) 

大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 湖岸の松並木を存分に描いた風景画で前作と較べると構図的には単純であるが雄大で風の向きを強調した白帆に嵐を予感させている。お城は膳所城と思われる。比良山に向かって北進する広大な湖面と湖岸を埋め尽くす松林とお城が嵐を待ち受けている。

 

 下の絵は土佐慶琢の描いた粟津晴嵐である。

 

f:id:karisato88:20210327105632j:plain

土佐慶琢 近江八景 粟津晴嵐 江戸時代(18世紀)大津市歴史博物館所蔵

 湖岸の松林に迫る嵐の気運を画面に描き出している。湖面を揺らす波頭と共に風が吹きつける状況に焦点が絞られた粟津晴嵐である。近衛信伊の歌心や周辺の景観とは一線を画した自然現象〝晴嵐〟中心の作品で注目する。

近代の風景

下は明治期以降に描かれた作品と絵葉書の写真である。

f:id:karisato88:20210325112600j:plain
f:id:karisato88:20210325112625j:plain

野村文挙 粟津晴嵐 明治32年 滋賀県立美術館蔵  近江八景写真絵葉書 粟津晴嵐 明治大正期

双方とも湖岸の松並木が粟津の象徴であった事を物語っており、現在の松林再現計画に結びつくものとして期待している。

 因みに現在〝晴嵐〟とは〝春又は秋の霞、晴天の日に立ち上る山気〟とされている。