2020年の秋

近江八景を行く(5)三井晩鐘 その2

浮世絵と近代の絵姿

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 歌川広重 近江八景之内(保永堂板)三井晩鐘 天保5年(1834)

大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写(原本・大津市歴史博物館所蔵)

 三井晩鐘で一番よく目にするが歌川広重の保永堂板の浮世絵である。三井寺から発する夕暮れの鐘の音が行き届く山麓の集落の情景を捉えた絵で侘しさが籠っている。背景の山は比叡山と思われるが三井寺の伽藍を含めて宗教的な威圧感を絵に与えている。 

 

秋の夕暮れに鳴り響く鐘の音が人の心を動かし、見つめる風景にも世の無常が籠っていると感じさせて来る。晩鐘は八景の中では最も詩的な課題であり、それだけに奥深い。和歌の〝暁ちぎる〟が何を意味するのか、定説は知らないが、煩悩を断ち切るのか、又は夜明け前の契りなのか良く分からず、意味深長である。

 下2点も歌川広重の浮世絵である。

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歌川広重 近江八景(魚栄板)三井晩鐘 安政4年   歌川広重 近江八景(藤慶板)三井晩鐘
  大津市歴史博物館発売の絵葉書より複写     大津市歴史博物館所蔵  企画展近江八景より

 左上の浮世絵は広重の魚栄板に共通した構図で、上部雲間に近衛信伊の和歌が添えられ天地水の順次で下方に向けて主題画が段描きされている。美しい情景画であるが晩鐘の雰囲気は現れておらず、保永堂板のような侘しい情景や心理的な描写がなく、和歌の心が薄らいでいる。

 右上の絵も歌川広重の浮世絵である。近江八景の三井晩鐘と題され上部に三井寺と湖岸風景画描かれた絵を配しているが主眼は想いを詰めた遊女であり、正に大胆な八景画である。この絵には近衛信伊の和歌は添えられていないが、絵が語り掛ける心は信伊の和歌そのものではないかと想像している。遊女は入り合いの鐘の音に今宵の時を感じており、又或る人は己の人生や境遇に想いを寄せるなど、そんな普遍的な感情移動が梵鐘の音に込められている事を思い知らされるところに八景文化の奥深さが潜んでいる。

 

 

 

 因みに広辞苑から〝暁の別れ〟を引くと 〝夜をともにした男女がまだ暗いうちに起きて別れる事〟と記しており、古今和歌集【恋】の〝有明のつれなく見えし別れよりばかり憂きものはなし〟と源氏物語【総角】の〝あな苦しやや〟などの例が挙げられている。入り合いの鐘には世の無常をはじめとして煩悩や愛情や苦悩といった人間の弱みを悟らせる普遍的な響きが籠っている。

 

 下の2点は近代の絵と絵葉書写真である。

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 野村文挙 近江八景図 三井晩鐘 明治32年    近江八景写真絵葉書 三井晩鐘 明治大正期
      滋賀県立近代美術館蔵          大津市歴史博物館   企画展
近江八景より

 上左の絵は春の三井寺であろうか。満開の桜に囲まれた三井寺で近衛信伊の和歌との結びつきは希薄であるが、堂宇や鐘楼など山寺の雰囲気を感じさせる美しい絵である。

 右上は明治大正期の絵葉書とされた写真のコピーである。カラー刷りであるのが若干不自然であるうえ、伽藍の様子も現在と異なり班別が難しい。